めいっぱい息をすること

好きなことはとことん拗らせていくオタクが見たものの感想や雑記その他

「推しがいない」=「茶の間」なのか

前記事から相当時間が経ってしまった。気づけば今年もあと2か月ですか。

まじで年々時の流れの体感速度が速くなりすぎてこわい。あっという間に死ぬのかな。というかあっという間に老けるんだろうな。結婚できるかしら。とか考え始めるとまじでドキドキするからやめます。

 

さて、本題。

 

若手俳優とか舞台とかが好き、とふとした瞬間に人に話すとき、実は一番困る質問がある。

 

「誰が推しなの?」

 

わたしにはいわゆる「推し」がいない。

(若手俳優グループの中で「推しがいない」的な記事を拝見したことがあるような気がして、禿げあがるほど共感したので引用させていただこうかなと思っていたのだけれど、見つけられなかった。悔しい。笑)

 

が、別にDDなわけでもない。(どちらかといえばこっち寄りなのか?)例えばミュキャスであれば節操なく追いかけているわけではないし、アミュやらDボやら事務所パックで推しているわけでもない。

 

じゃあどんな感じで……と言われると、なんとなく好きな俳優が3人ぐらいいて、その人たちの出てる舞台は1回は入る。そして好きなシリーズもの舞台はなんとなく行く。あと原作が好きな舞台も1回は行く。その他知ってる俳優が出ていてストーリーに興味がわいたりすると突発的にチケット取ったり。俳優の個人イベはほぼいきません。本当にその人を推しているファンが大多数の空間で、ミーハーに楽しんでいいかわからなくなるから。プレゼントもあげたことない。俳優にブランド品をあげるぐらいだったら自分の服やら財布やら買いたいよ……。両方買えるほど給料もらってません。悲しい。

まあプレゼントあげられない、とか出演舞台に全通できない、とかその時点でその人を真に推してるファンからは「ファンを騙るな」と言われそうだ。

 

かと言って、純粋に観劇が好きだから~などと言い張れるほど舞台に詳しいわけではない。そして実際舞台を観に行く理由なんてイケメン俳優を近くで見られるから、とか、運がよければファンサがもらえるから、とかそういう不純(?)なものがほとんどだ。

そしてもちろん、オタクじゃない、とも言えない。オタクです。同世代の普通の人から見たら「特定の人はいないけどイケメン俳優を観にいろんな舞台行ってます」なんてキモオタ以外の何者でもないと思う。

 

実際、わたしみたいな中途半端なファンって結構いたりするんじゃないだろうか。というか、わたしのスタンスは3代目青学を追っかけてたこのころ↓

 

antoi-meee.hatenablog.com

 からあまり変わっていない(心に刺さった人はみんなまとめて応援したくなる感じ)のに、5~6年のブランクのうちに若手俳優市場が相当大きくなったせいか、オタクの中で「推しがいない」ことに対して一種の居心地の悪さを感じざるを得ないような環境になってしまったような気がする。おんなじように取り残されてる人、いるんじゃないですか?いるよね?

 

でもね、実は昨年末にドハマりした舞台でできかけたんです、推し。もともとは原作が大好きすぎて、その人が演じたキャラが大好きすぎて5回観に行ったんだけれども。いざ観終わってからは、キャラに対しての愛はもちろん、そのキャラを演じてくれた俳優に対しての感謝がすごく湧き上がってきて、千秋楽でとうとう手紙を書こうとした。

でも書けなかった。伝えたいことが多すぎて、考えてるうちに自分の気持ちの重さに引いちゃって。笑

結果どうしたかというと、持て余した感動と情熱の行き場がなくなって、でも誰かに気持ちを伝えたくて、なぜか主演の女の子に超重たい感謝のお手紙を書いてプレボに入れるという斜め上の行動に走る……。笑 そのあたりの気持ち悪さがつくづくオタクだよなあ、と自分で思ったりして。

 

楽しいんだけどね、とっても楽しいんだけど。きっと誰かを「推す」ことに向いていないわたしは、今後もイケメンを拝みにふらふらふらふらいろんな舞台を観に行くんだろう。

 

なにが言いたいかって、誰か特定の推しにつぎこむオタクじゃないからといって、いわゆる「茶の間」とはくらべものにならないぐらいちゃんとお金は落としていますよ、ということ。別に自分を正当化したいわけじゃないけれど、そう感じた方がいたらすみません。

 

「推しがいない」ことは必ずしも悪ではない、という話。