めいっぱい息をすること

好きなことはとことん拗らせていくオタクが見たものの感想や雑記その他

ネオロマンスという異空間(遙か祭2016に行ってきたよ)

※最初に述べておきますが、この記事は遙か祭2016のレポ、感想ではありません。
(感想っちゃ感想ですが、イベントに参加したいちオタクがネオロマンスというものに対して常日頃思っていることだったり浮かんだ雑念をつらつら書いてい るだけですのであしからず)

 

 

乙女ゲームを嗜む人なら知っているかもしれないが、ネオロマンスとは、某老舗ゲームメーカーの出している女性向け恋愛ゲームの総称だ。

なんと恐ろしいことに、家庭用ゲーム機においてはスーファミの時代からソフトを出し続けていて、救えない夢見がち女オタクを生み出し続けている。

更には親子2代でネオロマ作品を愛し続ける強者もいるらしい。楽しそうだけどどこにも逃げ道がないな、こわい。

 

私自身、現在進行形でどっぷりネオロマにはまっているし、人のことを偉そうにうんぬん言える立場ではない。ただ、過去記事でも述べたように、私はとにかくたくさんのジャンルをまたいでオタクをやっている。
そのなかで感じるのが、ネオロマの現場で皆が使う「愛」という言葉のプレッシャーだ。

愛。素晴らしい言葉だ。
全てのスタッフ、キャスト、客が作品への愛を持ってイベント会場に集まって、生ドラマをやったり、ライブをしたりする。こんな幸せな空間があるかなあ、と、思った時期もあった。が、他のジャンルをほいほい行ったり来たりするたびにどんどん冷静になっていく自分もいる。

 

なんせ20年も続いているジャンルだから、スタッフとベテランキャスト、客の熱量がおかしい。
なんだろう、うまく説明できないけど、ネオロマのノリっていい意味でも悪い意味でも20年前というか、どの作品もものすごい清らかなんですよ。例えばキャラが「ごきげんよう」って言い出しても違和感ないかも、ぐらいの。
リリアン女学園みたいな(伝わる人にはピンポイントに伝わると思う)。
だから、なんかイベントの空気がすごく独特で、土日昼夜4公演やって、客が全通することを前提にドラマつくってきたりするの。もちろんライブ の曲も公演ごとに違う。そして当たり前のように全通する大半の客。笑

 

まあそんな感じでも、結局作品は好きだし、生で書き下ろしドラマをやってくれたりするので
そこそこ公演に通っていたりしてた。ていうかしてる。

でもやっぱり、歴史のあるシリーズなので、発売当時はまだ若手だったキャストも中堅・ベテランになり、今のネオロマキャストって大御所から超売れっ子ばっかりなんですよね。
だから2日間4公演のうち1日だけとか、今回のイベントには不参加とか、あまり参加率のよくないキャストがいたりする。

 

今回の遙か祭2016もまさにそんな感じだったのだけれど、日曜の2公演だけ出演したキャストが言った発言がわたしの感じていたネオロマの独特さ、異質さと通ずるところがあったので引用させていただく。

 

ネオロマのお客さんって、すっごく集中して聞いてくれるじゃない?
一言も聞き逃さんぞ、聞き漏らすまいぞ!!って。笑
正直それもあって本当に今回ものすごく緊張してます。」

 

客側としちゃ「お金払ってあなたたちの声を聞きに来てるんだからそりゃそうだろ」と思うところかもしれないけど、舞台上のキャストが気圧され るぐらいそれを感じるって、やっぱりちょっと熱量がちがうんだな、と改めて実感させられた。というかこの発言を聞いて、ネオロマが異様だと思っていたのは自分だけじゃなかったんだ…と若干安心した。

 

あと、ネオロマの客の涙もろさは異常だ。笑
推しキャラの愛メを聞けりゃあ泣き、ドラマで本編のシリアスシーンを再現されちゃあ泣き、新展開が発表されちゃあ泣く。どこか宗教味を感じるレベルで作品、そしてネオロマンスへ絶大なる信頼感を持っているように思える。ゲームの続編で新キャラが出る。新キャストが加わる。キャストが入れ替わる。不安だ、でもネオロマだから大丈夫。好きになれる。

ほんとにこんな思考でいる人が大多数っぽいからこわい。

 

いったいなにがひとをそこまで惹き付けるのだろうか?それはひとえに、徹底されたファンタジー感じゃないだろうか、と私は思う。

だってありえないもん、こんな世界観。作り込みすぎ。笑

ネオロマ作品って「恋愛ゲーム」という括りには入るものの、恋愛要素が無くてもゲームとして成り立つぐらい、主人公には大きな目的が課せられている。(たとえば新しい星の女王になるために学友と競い合ったり、突然召喚された異世界を危機から救わなきゃいけなかったり、妖精に目をつけられて経験者ばかりの音楽コンクールに素人一人出なきゃいけなかったり)

本筋のストーリーを重視して目的達成しようとしたら、恋愛なんかしてる暇ない……んー違うな、恋愛に舞い上がってるゆとりなんてない?ていう言いかたの方が正しい気がする。

ゲーム自体の難易度が高いんですよ、無駄に。老舗だからなのかゲーム性にすごくこだわってる感じ。だって守護聖さまたちに支持されつつ領地を広げようとしたら、必然的にライバルの妨害しなきゃなんないし。源平の争いを収めて敵側の武将と幸せになろうとしたら、敵レベルを「強い」に設定したうえで特定の特技を取得して、タイマンで(落としたい相手と)勝負に勝たなきゃいけないし。学内コンクールで優勝するために、できるだけ人の多い場所でヴァイオリンかき鳴らして妖精追っかけ回さなきゃいけないし。あっちなみに未プレイの方、上記は全て本当にネオロマゲーム内で起きることです。ヒロインの選択肢が「承知する」「断る」の二択しかない武士みの強すぎる乙女ゲームもあるよ!

まあそんな具合でどの作品も割と頭使ってプレイしなきゃなんないので、いざ恋愛進めようと思っても、ものすごく冷静に好感度とか計算してイベント起こすようになる。笑

だからじゃないかな、キャラ×自分の夢思考のひとより、キャラ×ヒロインのCP思考のひとのほうが多いような気がしていて。つまり「ここまで頭使ってお前とくっつくルートを選んだんだからくれぐれも二人で幸せになれよ…!!くれぐれもだぞ…!」みたいな気持ちが強くなるんじゃないかと。それが拗れに拗れて、最初に書いたような「愛」=執着、につながるんだと思う。そりゃキャラと作品に対しての思い入れも強くなるよ、本当に努力してつかんだ恋(ヒロインの)だもん。

 

結構みんな言うんだけど「ネオロマに関してはヒロインの人気が異常」っていうのも、そんな理由があるからじゃないかと思うのです。ヒロインに関しては、一緒に困難を乗り越えてきた戦友?バディ?みたいな気持ちを抱いてしまうのかな。笑 かくいう私自身もイベントにヒロイン役の人が出るってなるとうれしいし、攻略キャラのグッズはあきらめてもヒロインのアクキーだけは確保したりする。今回の遙か祭でも神子アクキーコンプしたし神子CD買いました。かわいかった。

 

そんなこんなで、「キャラ×ヒロインの恋を応援するモブおばさん」的心境のまま、青春時代を作りこまれすぎたファンタジーの世界にどっぷりの状態で過ごした乙女たちが就職し、経済力をもち、実年齢もどんどんキャラから離れていくとともに本当にモブおばさんの立場に近づいていってしまう。そうなったらもう、自らの持てる経済力と行動力と情熱のすべてを注ぎ込んで、モブおばさんとして彼らを全力で応援するしかありません!

と、いった具合に、あらゆるイベントに全通して、全キャラ全作品を愛して尊がる、立派なネオロマンサーが誕生する。

 

これがネオロマンスの恐ろしさであり、イベント会場の異様な熱量の正体なんだと、私は思う。もう慣れたし嫌いじゃないけど。

だから、乙女ゲームはやるけどまだネオロマはやったことない。とか、舞台化した作品は見たことあるけど原作ゲームは未プレイだ。みたいな人がもしこの記事で興味を持ってくれたら、ぜひなにかひとつでもネオロマのゲームをプレイしてみてほしい。たぶんはまるぜ。そして舞台だけ見たことある人は、キャストがなんでみんな、作品への愛を口にするのかわかると思う(ただ愛するだけじゃなくて、口に出してそれをファンに言うってのがポイントだ)。笑

 

モブおばさん最高!!